• 福島県
    • 南相馬市 2011.3.26
    • 南相馬市 2011.4.3
    • 新地町 2011.3.27
    • 新地町 2011.4.3
    • 松川浦 2011.4.3
  • 宮城県
    • 仙台港 2011.3.27
    • 石巻市 石原軍団 2011.4.16-17
    • 石巻市 2011.4.14-15
    • 石巻市牡鹿半島 2011.5.4
    • 女川町 2011.4.14-15
    • 女川町 筧あゆみ 2011.4.14-15
    • 女川町 2011.4.26
    • 南三陸町 2011.4.26
    • 気仙沼 2011.5.4
  • 岩手県
    • 陸前高田市 2011.4.15
    • 陸前高田市 2011.5.4
  • その他
    • 被災地に咲く 2011.4.26-27
    • 船の墓場 2011.5.4
  • 鈴木高宇オフィシャルホームページ
【福島県 南相馬市 2011.03.26】
  最初に被災地に入ったのは東北道が全線開通した2週間後のことだった。南相馬市は津波の被害に加え、福島第一原子力発電所の放射能漏れが追い打ちをかけ避難民が暮らすライフラインも儘ならぬ状態で集団移転する人たちが多かった。津波の被害を受けた地域に人影はほとんどなく、見渡す限りの瓦礫の平原に目を覆いたくなった。漁船は田んぼであったらしきところで何隻も打ち上げられていた。一体何から手をつけて良いのか想像するだけで言葉にならなかった。
  学校も被害を受け、一階部分は土砂に埋もれた。ランドセルもそのままに、生徒たちは無事避難できたのだろうか。全員無事を祈るばかりだ。校庭も体育館もすべて土砂で埋め尽くされていた。
  津波は国道6号線も越え、田んぼや住宅地を襲った。わずかな高低差で無事だった家屋も多かったのが特徴的だ。昔からの農家は少し高台にあり津波を免れたところもあったが、休耕田にアパートや家屋を建てたところは土台を残して何も残らなかった。津波を直接見たわけではないが、その破壊力を見るだけで想像できない恐ろしさを感じた。
  原発の放射能に関しては風評被害が酷く、福島ナンバーであるだけでガソリンを給油してもらえなかったり、旅館に泊めてもらえなかったりした。実質的な被害だけでも悲惨なのにデマや差別が起こったのは悲しいことだ。関東では日光の遠足や修学旅行がキャンセルされるような話も聞いている。学識者であるはずの教員ですらそんな有様である。福島と栃木県日光市の地理的関係や気象状況を考えれば少しはわかりそうなはずなのだが。
  放射能に関することは詳細なデータを基に各自冷静に判断してほしい。そもそも1マイクロシーベルトがどれほどの量なのかTVでも詳しく放送していたのだから参考にしてほしい。⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
 01 | 02 | 03 | 04 | 05