• 福島県
    • 南相馬市 2011.3.26
    • 南相馬市 2011.4.3
    • 新地町 2011.3.27
    • 新地町 2011.4.3
    • 松川浦 2011.4.3
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    • 女川町 2011.4.14-15
    • 女川町 筧あゆみ 2011.4.14-15
    • 女川町 2011.4.26
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    • 陸前高田市 2011.5.4
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    • 被災地に咲く 2011.4.26-27
    • 船の墓場 2011.5.4
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【福島県 相馬市松川浦 2011.04.03】
  海があって船があって、木々があって田んぼがあって、家々が並び、大人たちは額に汗し、子供たちの笑い声が聞こえる。そんな当たり前のことが幸福なのだと思い知らされた。日常の些細なイザコザやケンカさえもこの現実の前ではすべてあってもいい話。そんなことすら平和の内だったのだと。
  あの美しい松川浦も壊滅的な被害を受けていた。奇跡的に残った漁船が何故か誇らしくさえ輝いて見えた。船さえあれば復興の道も見えなくはないからだ。
  今日本人が団結し、ささやかな幸せを願いさえすれば復興は時間がかかるとしても決して不可能な話ではない。実現可能な夢であるはずだ。
  住宅街だった所にはいたるところに家族のアルバムがある。まだ散乱しているものもあるが、ほとんどは自衛隊の方々が捜索の際瓦礫を撤去しながら捨てずに整理されたものだ。ここにも人としての人情が感じられる。今回自衛隊隊員10万人の投入と重機や艦船での捜索は凄かった。被災した人々もなかなか温かい食べ物が摂れないなか、彼らもまた冷や飯などで不平も言わず任務に励んでいる。
   はみ出した泥まみれのアルバムからは、輝いたあの日の笑顔があふれていた。またきっと笑顔があふれる街に復活することを信じていたい。