【宮城県 石巻市 2011.04.14-15】
瓦礫は撤去されつつあるが、それでも瓦礫は道路からはみ出さんばかりの量だった。所々アスファルトも津波に剥がされ砂利が敷かれた道路はクルマが通ればたちどころに砂煙が舞う。石巻で感じたことは市の広範囲にわたって被害が広がっていたことだ。石油コンビナートのタンクですら防波堤や道路に打ち上げられていた。もちろん大型漁船も。錨や舫いも、どこまでも伸びきっていた。
地元の方に話を少しだけ聞けた。地震直後、それなりに避難した方がいたのだが集まった者通し「あれ持ってきた?これ持ってきた?」の話になってしまい、家に引き返した人たちすべてが帰らぬこととなった。第一波の津波も凄かったのだろうが、第三波が一番凄かったのだそうだ。飲まれたら最後、それが津波の脅威だ。それからクルマで避難した人達だが、渋滞したのだそうだ。地元の人たちは裏道を知っているからそれで逃げようとした。そこでクルマを捨てたかどうかが生死を分けた。クルマに固執した人たちは残念ながら大半が亡くなってしまったそうだ。クルマを捨てとにかく目も前にある高いところを目指す、これが鉄則のようだ。15000人、未だ帰らず。彼らは何処へ行ったのだろうか。
瓦礫は撤去されつつあるが、それでも瓦礫は道路からはみ出さんばかりの量だった。所々アスファルトも津波に剥がされ砂利が敷かれた道路はクルマが通ればたちどころに砂煙が舞う。石巻で感じたことは市の広範囲にわたって被害が広がっていたことだ。石油コンビナートのタンクですら防波堤や道路に打ち上げられていた。もちろん大型漁船も。錨や舫いも、どこまでも伸びきっていた。
地元の方に話を少しだけ聞けた。地震直後、それなりに避難した方がいたのだが集まった者通し「あれ持ってきた?これ持ってきた?」の話になってしまい、家に引き返した人たちすべてが帰らぬこととなった。第一波の津波も凄かったのだろうが、第三波が一番凄かったのだそうだ。飲まれたら最後、それが津波の脅威だ。それからクルマで避難した人達だが、渋滞したのだそうだ。地元の人たちは裏道を知っているからそれで逃げようとした。そこでクルマを捨てたかどうかが生死を分けた。クルマに固執した人たちは残念ながら大半が亡くなってしまったそうだ。クルマを捨てとにかく目も前にある高いところを目指す、これが鉄則のようだ。15000人、未だ帰らず。彼らは何処へ行ったのだろうか。
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