【岩手県陸前高田市 2011.05.04】
友達の分まで生きろ!!音楽室の黒板には薄っすらと、だが力強くそう書かれていた。卒業生はNever give up!と、更に綴っていた。生き残った人々は生身の人間である。それを生きろと励ます。地震と津波を体感し、避難所でストレスを感じやすい共同避難生活を経た者にしか書けないセリフだ。東京の電気水道ガスが揃い、御茶を飲みながらTVを観ている、そんな人間には言う資格はないのかもしれないが、敢えて私も言いたい。生きてください!!と。言うのは優しいが実行する方は命がけだ。
写真の様に2カ月近くたった取材当日も瓦礫の中には自衛隊員と警察消防関係者が目立つくらいで一般の人々はほとんど目立たない。そんな中、東京からボランティアの方々が手伝いに来ていた。話を伺うと、なんとご近所様。お疲れ様です、そしてまた来てほしい。美しく蘇った陸前高田を。
友達の分まで生きろ!!音楽室の黒板には薄っすらと、だが力強くそう書かれていた。卒業生はNever give up!と、更に綴っていた。生き残った人々は生身の人間である。それを生きろと励ます。地震と津波を体感し、避難所でストレスを感じやすい共同避難生活を経た者にしか書けないセリフだ。東京の電気水道ガスが揃い、御茶を飲みながらTVを観ている、そんな人間には言う資格はないのかもしれないが、敢えて私も言いたい。生きてください!!と。言うのは優しいが実行する方は命がけだ。
写真の様に2カ月近くたった取材当日も瓦礫の中には自衛隊員と警察消防関係者が目立つくらいで一般の人々はほとんど目立たない。そんな中、東京からボランティアの方々が手伝いに来ていた。話を伺うと、なんとご近所様。お疲れ様です、そしてまた来てほしい。美しく蘇った陸前高田を。
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