【岩手県 陸前高田市 2011.04.15】
気仙川に架かる橋は3つも流されていて、私は大きく迂回しなくては市内に入れなかった。ここは平野が広いため完膚なきまでに津波で薙ぎ払われてしまった。それは元々田園風景であったのではとさえ思える光景だった。駅舎はむろん、住宅街も役所も地図で見ると確かにあるのだが、存在した形跡を感じさせてくれるものすらほとんどなかった。国道の大きな陸橋も建設中なのかと思わせるほど、橋脚を残してアスファルトさえ何処かへ流されてしまった。
廃墟になった夕刻迫る街にはほとんど人影が見当たらず、寂しい限りだった。あったはずの道路は、復旧された国道以外ほとんど認めることができない惨状。痕跡を探す取材さえ困難であった。
この町は、今後必ず復活してほしい。防災に強い街となって。
気仙川に架かる橋は3つも流されていて、私は大きく迂回しなくては市内に入れなかった。ここは平野が広いため完膚なきまでに津波で薙ぎ払われてしまった。それは元々田園風景であったのではとさえ思える光景だった。駅舎はむろん、住宅街も役所も地図で見ると確かにあるのだが、存在した形跡を感じさせてくれるものすらほとんどなかった。国道の大きな陸橋も建設中なのかと思わせるほど、橋脚を残してアスファルトさえ何処かへ流されてしまった。
廃墟になった夕刻迫る街にはほとんど人影が見当たらず、寂しい限りだった。あったはずの道路は、復旧された国道以外ほとんど認めることができない惨状。痕跡を探す取材さえ困難であった。
この町は、今後必ず復活してほしい。防災に強い街となって。